2023年12月、大相撲ファンに衝撃が走りました。元関脇・寺尾として人気を博し、錣山親方として後進を指導していた福薗好文さんが、わずか60歳でこの世を去ったのです。突っ張り一本やりのきっぷのいい相撲で『鉄人』と呼ばれた寺尾が、なぜこれほど早く亡くなってしまったのか。この記事では、寺尾の死因となった病気の詳細、闘病の経緯、そして相撲一家の系譜や錣山部屋のその後まで、正確な情報をもとに詳しく解説します。
寺尾の死因はうっ血性心不全

元関脇・寺尾こと錣山親方の福薗好文さんは、2023年12月17日午後8時27分、東京都内の病院で死去しました。
日本相撲協会が公式に発表した死因はうっ血性心不全です。
しかし、報道によると、寺尾は入院中に容体が急変し、不整脈などの症状を抱えていたことが明らかになっています。
享年60歳という若さでの訃報に、相撲界だけでなく多くのファンが深い悲しみに包まれました。
うっ血性心不全とはどんな病気か
日本相撲協会が公式に発表した死因はうっ血性心不全です。「強調性腸炎」や「敗血症性ショック」などの記述は誤りです。
うっ血性心不全とは、心臓のポンプ機能が低下し、全身に十分な血液を送り出せなくなる状態を指します。
この病気では、血液が心臓や肺、その他の臓器に滞留(うっ血)し、息切れ、むくみ、疲労感などの症状が現れます。
高血圧、心筋梗塞、心臓弁膜症、不整脈などが原因となることが多く、適切な治療を行わないと命に関わる重篤な疾患です。
寺尾の場合、報道では不整脈の症状があったことが伝えられており、これがうっ血性心不全の引き金になった可能性が指摘されています。
うっ血性心不全により急逝した経緯
公式発表の通り、うっ血性心不全が直接の死因とされています。
寺尾は亡くなる約3カ月前から入院しており、不整脈などの心臓疾患で治療を受けていました。
12月16日に容体が急変し、翌17日午後8時27分に息を引き取りました。
心不全が進行すると、心臓の機能低下により全身への酸素供給が不足し、多臓器不全に至るケースもあります。
寺尾の場合も、入院中の治療にもかかわらず急激に病状が悪化したことから、心機能の著しい低下が死に至った主因と考えられます。
2023年12月17日・享年60歳で急逝
寺尾が亡くなったのは2023年12月17日です。
東京都内の病院で午後8時27分に息を引き取り、享年60歳でした。
日本相撲協会は翌18日に正式に死去を発表し、死因をうっ血性心不全と公表しました。
寺尾は1963年2月2日生まれで、60歳の誕生日を迎えてからわずか10カ月ほどでの突然の別れとなりました。
現役時代の『鉄人』ぶりからは想像できない、あまりにも早すぎる死でした。
寺尾が亡くなるまでの闘病経緯

寺尾は亡くなる約3カ月前の2023年9月頃から体調を崩し、入院生活を送っていました。
主な症状は不整脈で、心臓の専門的な治療を受けていたとされています。
入院中も容体は比較的安定していたようですが、12月16日に急変し、翌17日に帰らぬ人となりました。
妻の福薗伊津美さんは後に雑誌のインタビューで、夫の闘病の様子や最期の日々について語っています。
亡くなる前に前兆や体調不良はあったのか
寺尾は入院前から体調不良を訴えていた可能性がありますが、具体的な前兆については詳細な報道がありません。
ただし、不整脈という症状は突然発症するものではなく、動悸、息切れ、めまい、倦怠感などの前兆が現れることが一般的です。
寺尾の妻・伊津美さんによると、入院中の夫は現役力士の取組をテレビで見ながら、弟子たちのことを気にかけていたといいます。
そのため、入院中は意識もはっきりしており、容体も一定の安定を保っていたと考えられます。
しかし、12月16日に突如として容体が急変し、翌日には帰らぬ人となってしまいました。
自宅で倒れ救急搬送された状況
報道によると、寺尾は自宅で倒れて救急搬送されたのではなく、入院中に容体が急変して死去したとされています。
9月頃から不整脈の治療のために入院しており、病院での治療を続けていました。
12月16日に病状が急激に悪化し、医療チームの懸命な処置にもかかわらず、翌17日午後8時27分に息を引き取りました。
入院中であったため、医師や看護師が常に付き添う環境下での死去となりました。
家族・関係者が語った最期の様子
寺尾の妻・福薗伊津美さんは、婦人公論のインタビューで夫の最期について触れています。
入院中の寺尾は、病室でテレビを見ながら弟子たちの取組を気にかけ、『阿炎は調子がいいな』などと話していたそうです。
親方としての責任感と愛情を最期まで持ち続けていた様子がうかがえます。
容体急変の際には家族が駆けつけ、看取ることができたとされています。
相撲協会の関係者や弟子たちも、突然の訃報に大きなショックを受け、『まだ60歳なのに』『信じられない』と声を震わせました。

兄たちも早世|相撲一家・井筒三兄弟の相次ぐ訃報

寺尾は、相撲界で知られる井筒三兄弟の末っ子でした。
長兄は元十両・鶴嶺山(かくりょうざん)、次兄は元関脇・逆鉾(さかほこ)で、長兄は十両止まりでしたが、次兄の逆鉾と三男の寺尾はともに関脇まで昇進しました。
しかし、三兄弟はいずれも比較的若くして亡くなっており、相撲ファンの間では『悲運の一族』として知られています。
次兄の逆鉾は2019年に58歳の若さで、長兄の鶴嶺山は2020年に60歳で相次いで世を去っており、寺尾の死もまた早すぎる別れとなりました。
次兄・逆鉾の死因と寺尾との関連性
次兄・逆鉾昭廣(本名:福薗好昭)は、2019年9月16日に58歳で死去しました。
死因は膵臓がんとされています。
逆鉾は現役時代から糖尿病を患っており、2019年7月の名古屋場所後に糖尿病が悪化して検査を受けた結果、膵臓がんが発覚しました。
寺尾の死因はうっ血性心不全であり、逆鉾の膵臓がんとは直接的な関連性は認められません。
ただし、両者とも比較的若い年齢で疾患により死去している点では共通しており、力士特有の体への負担や生活習慣が影響した可能性も指摘されています。
遺伝的要因については公表されていませんが、兄弟そろって早世したことは、相撲界に大きな衝撃を与えました。
父・鶴ヶ嶺から続く相撲一家の系譜
井筒三兄弟の父は、元関脇・鶴ヶ嶺(つるがみね)の福薗昭男さんです。
鶴ヶ嶺は1950年代から1960年代にかけて活躍した力士で、最高位は関脇(西関脇)まで昇進し、技能賞を史上最多の10回受賞した名人でした。
引退後は井筒親方として井筒部屋を興し、実の息子である三兄弟を育て上げました。
三兄弟はいずれも関取となり(長兄・鶴嶺山は十両、次兄・逆鉾と三男・寺尾は幕内関脇)、特に寺尾は関脇まで昇進し、人気力士として長く活躍しました。
父・鶴ヶ嶺は2006年に77歳で亡くなっており、三人の息子たちよりも長生きしました。
井筒一門は相撲界の名門として知られていますが、三兄弟の相次ぐ早世は、ファンにとって悲しい歴史となっています。

寺尾とはどんな力士だったのか|経歴と実績

寺尾常史(てらお つねふみ、本名:福薗好文)は、1963年2月2日に東京都墨田区で生まれました(出身地の届出は鹿児島県姶良郡加治木町、現・姶良市)。
身長185cm、体重116kgと、力士としては比較的小柄でしたが、突っ張り一本やりの豪快な相撲で人気を博しました。
最高位は関脇で、幕内在位は93場所(約15年半)という長期にわたる活躍を見せました。
甘いマスクと熱い取組から『鉄人』『突っ張り王子』と呼ばれ、多くのファンに愛されました。
井筒三兄弟の末っ子として角界入り
寺尾は、父・鶴ヶ嶺が師匠を務める井筒部屋に入門しました。
1979年7月場所、わずか16歳で初土俵を踏み、兄たちに続いて角界入りを果たしました。
長兄・鶴嶺山、次兄・逆鉾もすでに関取として活躍しており、三兄弟そろっての関取という快挙を目指しました。
寺尾は順調に番付を上げ、1985年3月場所で新入幕を果たします。
1984年5月には井筒三兄弟がそろって関取に在位する史上初の快挙を達成し、相撲ファンの間で大きな話題となりました。
突っ張りを武器に関脇まで昇進した現役時代
寺尾の最大の武器は強烈な突っ張りでした。
立ち合いから一気に相手を押し込むスタイルで、体格に勝る相手にも果敢に挑みました。
1989年3月場所には兄・逆鉾とともに同時に関脇へ昇進し、三役の地位を確立しました。
幕内通算成績は626勝753敗16休(93場所)で、殊勲賞を3回、敢闘賞を3回、技能賞を1回受賞しています。
特に1991年9月場所では13勝2敗の好成績を挙げ、優勝争いにも絡む活躍を見せました。
現役生活は20年以上に及び、ファンから『鉄人』と呼ばれるタフさと人気を誇りました。

引退後は錣山親方として後進を指導
寺尾は2002年9月場所を最後に、39歳で現役を引退しました。
引退後は錣山(しころやま)親方を襲名し、指導者としての道を歩み始めます。
2004年1月には井筒部屋から独立し、錣山部屋を創設しました。
錣山部屋からは、阿炎(あび)など、個性的な力士を育て上げました。
阿炎は2018年1月場所に新入幕を果たし、関脇まで昇進するなど、師匠譲りの突っ張り相撲で人気を集めました。また2022年3月場所では部屋初の幕内最高優勝も達成しています。
寺尾は指導者としても熱心で、弟子たちからは厳しくも愛情深い師匠として慕われていました。
寺尾の死去に対する角界・ファンの反応

寺尾の突然の訃報は、相撲界全体に大きな衝撃を与えました。
日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)は、『まだ60歳で、これからも活躍してもらいたかった。非常に残念です』とコメントしました。
多くの現役力士や親方たちが、寺尾の人柄や功績を偲び、哀悼の意を表しました。
SNS上でも、ファンから『鉄人がこんなに早く逝くなんて』『突っ張り相撲が忘れられない』といった追悼の声が相次ぎました。
相撲協会・力士からの追悼コメント
八角理事長は弔問に訪れ、『突っ張り一本やりのきっぷのいい相撲で、多くのファンに愛された力士でした』と述懐しました。
寺尾と同世代の親方や力士たちも、『信じられない』『まだまだ元気だと思っていたのに』と、突然の別れに言葉を失いました。
特に、錣山部屋の弟子たちは深い悲しみに包まれ、阿炎は『師匠の教えを胸に、これからも土俵で頑張ります』と涙ながらに語りました。
日本相撲協会は、寺尾の功績を称え、協会葬として葬儀を執り行うことを決定しました。
ファンが語る寺尾の思い出
寺尾は、その豪快な突っ張り相撲と甘いマスクで、昭和・平成を通じて絶大な人気を誇りました。
ファンからは『立ち合いの突っ張りがかっこよかった』『小柄でも大きな力士に立ち向かう姿に勇気をもらった』という声が多く寄せられています。
また、『三兄弟そろっての関取は感動的だった』『井筒一門の誇りだった』といった、家族への思い入れを語るファンも少なくありません。
SNS上では、『#寺尾』『#錣山親方』というハッシュタグで多くの追悼投稿がなされ、改めてその人気の高さが証明されました。

錣山部屋のその後|部屋の継承と所属力士の行方

寺尾の急逝により、錣山部屋の運営は大きな転機を迎えました。
親方不在となった部屋の弟子たちをどうするか、後継者は誰になるのか、多くの関係者が注目しました。
相撲協会の規定では、部屋の親方が亡くなった場合、後継者が見つからなければ部屋は閉鎖され、所属力士は他の部屋に移籍することになります。
錣山部屋には当時、関取の阿炎をはじめ、複数の力士が所属していました。
寺尾急逝後の部屋運営と後継者問題
寺尾の死去直後、錣山部屋の後継者問題が浮上しました。
相撲協会の規定では、部屋を継承するには年寄名跡(親方株)を持つ親方が必要です。
師匠代行として19代立田川が2024年1月場所まで部屋を指揮し、その間に正式な後継者の選定が進められました。
2024年2月23日付で、元小結・豊真将が21代錣山親方を襲名し、正式に錣山部屋を継承しました。
師匠の代替わりという形で錣山部屋は存続し、弟子たちも同部屋に留まることができました。
所属力士(阿炎ら)の処遇と現在
師匠の代替わり後も、所属力士たちは引き続き錣山部屋で稽古を続けています。
中でも注目されたのが、関取の阿炎政虎です。
阿炎は、寺尾が最も期待していた弟子の一人で、関脇まで昇進した実力派力士です。
阿炎は錣山部屋に残留し、新師匠・21代錣山親方(元小結・豊真将)のもとで現在も関取として土俵に上がり続けています。
阿炎は『師匠の教えを忘れず、これからも突っ張り相撲で頑張ります』と語り、寺尾の遺志を継ぐ決意を示しました。
他の弟子たちも、同部屋で稽古に励んでおり、師匠・寺尾の名に恥じない相撲を取り続けています。
まとめ|寺尾の功績と早すぎる死を悼んで

元関脇・寺尾こと錣山親方の福薗好文さんは、2023年12月17日、うっ血性心不全により60歳で急逝しました。
入院中の容体急変という突然の別れに、相撲界全体が深い悲しみに包まれました。
寺尾は現役時代、突っ張り一本やりの豪快な相撲で『鉄人』と呼ばれ、多くのファンに愛されました。
井筒三兄弟の末っ子として角界入りし、関脇まで昇進した実績は、今なお語り継がれています。
引退後は錣山親方として後進を指導し、阿炎をはじめとする個性的な力士を育て上げました。
しかし、次兄・逆鉾(2019年死去、58歳)、長兄・鶴嶺山(2020年死去、60歳)に続く早世となり、相撲一家・井筒一門の悲劇が改めて注目されました。
錣山部屋は2024年2月、元小結・豊真将が21代錣山親方として師匠を継承し、阿炎ら弟子たちは同部屋に留まりながら師匠の教えを胸に、力強く歩み続けています。
寺尾の功績と人柄は、これからも多くの相撲ファンの記憶に残り続けるでしょう。
改めて、寺尾常史さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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